「歩いて探せ」WEB写真展2:::::わずか歩けば画像に当たる。浅間南麓小諸、佐久とその近隣は画像のデパート。
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東信濃を徒歩で見つけた風景を画像で紹介しています。画像をクリックで拡大します。
感想やご意見は東信マイビデオ掲示板へ。ここから 画像は随時追加しています。
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石神縄文の泉
小諸市八満の石神には欅の下に祠がまつられ、近くには縄文の泉と呼ばれる湧水がある
平成3年、湧水の近くの石神遺跡の調査から縄文晩期の住居跡や遮光器土偶が発掘された。
近くでは今も細かい土器片が見つかる。泉の周りでは縄文時代から生活が営まれていたといえる。
このことからこの泉を石神縄文の泉と呼ばれ多くの人に親しまれている。
小諸市石神遺跡発掘調査報告書
2019.03.23追加
6月になって再び縄文の泉を訪ねた。周りは雑草に覆われ、縄文らしさを醸し出していた。

2019.06.05追加
6月下旬に尋ねると神事が終わっていました。祭りが行われているのかも。

2019.07.05追加


青木神社道祖神
小諸市新町の青木神社。車でいつも通っている道だ。
最近気になっていることなんだが、車で通ると道祖神の石仏が
いつもガードレールで隠れている。通行人にはまともに見えるんだが、
車で通る人のために世に出してやろうと思い今回画像で公開してみることにした。
2019.03.09追加


八日餅道祖神
小諸市大久保地区に今でも伝わっている八日餅道祖神。
毎年2月8日、村の入り口にある道祖神の石碑に餅を供える習慣が
この地方には残っている。真田町戸沢が有名だが、ここ大久保では
石仏に小麦粉で白く化粧をするという。この日はおはぎ餅が供えられていた。
2019.02.09追加


布引鉄道押出駅はスイッチバックだった
かつて小諸駅から布引方面へと向かっていた布引電気鉄道。小諸、花川、押出、布引と
いう駅があった。今もその廃路跡が道路として残る。その押出駅がスイッチバック式の
駅だったとは知らなかった。画像右が線路跡、左がスイッチバックの跡。
2018.07.10追加


御影北の森
小諸市御影新田の北、南保育園のわずか東。水田の中に小さな松の森がある。
そこだけがなぜ森になっているのか木の葉の落ちた今の季節に訪れた。
中心部に小高く盛り土があり祠も祀られている。よく見ていくと、直径が2メートル
はある大木の切り株が見つかった。切り株からは2世が生まれたかのように見えるが
私の錯覚だろう。長くこの地を見守ってきた針葉樹の大木なのであろうか。
敷地内に禅定門と彫られた墓石がみつかった。仏門に入り剃髪した者の墓のようだ。
所有者にしたら大事な場所なのかもしれない。
2018.03.18追加


枡形の滝
佐久穂町古谷の都沢川の上流に位置する滝の氷柱。
途中に水道施設があり、車の通行には地元は責任を負わない旨看板あり。自己責任で。
2018.02.11追加


風穴サミットを終えて
風穴サミットを終えた氷地区を再訪した。幟と説明板が新設されていた。内部を清掃して整備さ
れた風穴の石積みがはっきり感じ取れるようになっていた。
2017.09.17追加


別所風穴と野倉地区
今年の9月小諸市の氷区を舞台に風穴サミットが開かれました。明治初期、蚕種の孵化を遅らせ
一年を通して繭を育てる目的で利用されてきました。昨年は上田市別所を会場に行われたと聞き
別所風穴を見に行ってきました。整備された風穴が一つ残されていました。帰りは。3分ほどで
野倉地区を通ります。有名な道祖神と赤地蔵を見て帰路につきました。
2017.09.16追加


大木を支える石神
鴇久保を通り諏訪山入口で右折しばらく進むと三差路を左折、やがて道は田切の中を走る。地図
からは大久保地籍となるらしい。この田切地形の中に大木を支える石神が道路沿いに見える。
2017.06.26追加


鴇久保散策
小諸市鴇久保のわずかに残る水田。鴇久保ビオトープがあります。ビオトープというのは人間と
生物の共存する空間という意味で使われているようです。様々な生き物が発見できると思います。
近くには道祖神の石仏がとてもかわいらしく、また、薬師堂が周辺を見下ろせる所にあります。
2017.06.17追加


鏡石
小諸市加増区に「鏡石」と呼ばれる石が2つあります。石の側面を円形に磨いたように見えるこ
とからこの名がついたようです。傾斜地に立ち東南方向を向いています。陽が登ることと無縁で
はなさそうです。
2017.04.02追加


六供道祖神
3月4日市老人会が主催するわら馬パレードが行われた。市内をわら馬がパレードして解散とい
うものだが、かつては個人でも行われていたという。子供の無病息災を願うイベントとして目立
つことをしたいのはわかるが、かつては六供にある道祖神に集まり、ここでお餅などを交換して
食べたという。それを復活してほしいという声が聞こえてきた。六供道祖神を訪ねてみると古い
石仏には人々の願いが込められすり減った姿がなんともいえないこみあげてくるものを感じる。
2017.03.07追加。


氷地区の風穴
富岡製糸場が操業を開始した明治初期、養蚕作業は年一回でした。ところが長野県人が蚕の卵を
保存する風穴という天然の冷蔵庫を開発し、一年間に繭がとれる回数を増やすことに成功します
富岡製糸場から技術を持ち帰った工女たちの力によって全国に製糸場が建設され、長野県では、
地域別器械製糸場 普及率で全国トップとなっていくのです。小諸市氷地区の風穴もそんな日本
の絹産業の一翼をになっていたのです。今年9月全国風穴サミットの会場となります。
2017.01.11追加


袴腰展望台
初日の出を見る場所を探して袴腰へやってきました。高い木々に阻まれ日の出を見るのは難しそ
う。今から30年前ここに展望台が作られていましたが、木製のため腐食、取り除かれました。
そのころはここから市街地が一望できました。
2017.01.01追加。


蛇堀川の黄色い水
小諸市天池付近の東を流れる蛇堀川上流。鉄分を多く含むせいなのか黄色い水が流れる。しかし
下流の千曲川へ流れ込むあたりでは普通の色になっている。
2016.12.30追加。


剣ヶ峰
菱野地区にある焼却施設クリーンヒルの横を過ぎ、菱野北部へと向かう道路。ここからふと浅間山
を見上げると剣ヶ峰の厳しい姿が見えてきた。昨夜から今朝にかけての雨は、山の上では雪なのだ
ろう、改めて地元の山、浅間山の険しさを知る。。

2016.12.23追加


恋渡神社
青木村奈良本地区を車で走っていた時、恋渡神社の看板が目に入ったので集落内の細い道を抜け
神社へと向かいました。しっかりした神社で神楽殿も瓦が新しい。本殿に婚活お守り授与所なる
ボックスが掛けられていたのが印象的でした。これからの人向け神社ですね。
2016.12.10追加。

青木村の子安地蔵
同じ青木村の木立地区に子安地蔵が安置されています。何のめぐりあわせか、恋渡神社の次に
子安地蔵を訪ねるとは。2017.01.04追加。


朝霞
信州小諸は晴天の日は朝から霞がかります。そこに朝日が当たると霞んだ街並みが見えてきます。
2016.11.05追加

windows PCで動画見れます。ここから
久保の断崖
小諸市の久保地区と御牧ケ原台地との間には高さ150メートルの断崖が数キロメートルにわたり
続いています。久保地区からはこの断崖の下に道路があり、歩きながら秋の紅葉を楽しめます。
その紅葉もまもなくです。
2016.10.21追加。


六道欅と地蔵
小諸市小原の六道地区。古くから六道様として、また六道欅、六道地蔵などで知られてきました。
この地区には笠地蔵伝説や身代わり地蔵伝説などが伝わっており、祭りが今も続いている。
2016.10.14追加


夫婦石
石峠の駒形神社を出て、道を東へ向かうと南ヶ原地籍の畑の中に夫婦石と呼ばれる石があります。
浅間の噴火で運ばれてきたがここで二つに割れて以降、形を変えずに時が過ぎていることからこの
名が付き、信仰の石となったのでは。寛永年間に南無阿弥陀仏と彫られていることから想像できます。
2016.08.27追加


石峠の駒形神社
小諸市石峠の駒形神社に行ってきました。ここでは馬の形に浮き出た石がご神体として祭られていま
した。境内には、馬つなぎ石と思われる石があり、たずなを引き留めておく穴があいていました。
2016.08.21追加。


送水管の露頭
小諸千曲川水力発電所の水はどこから送られてくるの?佐久市の調整池だということを知ってますか
小諸市内ではその送水管の露出しているのが小原と耳取地区で確認できます。
2016.08.09追加。


夏の久保地区の岸壁

岩肌の露出が荒々しい岸壁だが夏は木々に覆われる
2016.07.05追加。


滝原棚田の石

滝原の西新田の集落を抜けると道は左右に分かれる。左に進むと上水場があるがそこからわずかで田ん
ぼの中に羊によく似た石が現れる。後ろから見ると馬の背のように見えるのだから不思議な石だ。き
っと田んぼの守り神なのだろう。
2016.06.04追加。


飼場の石仏
飼場集落の東の沢の斜面に小さな一対の石仏がある。石仏を囲むように縄が張られているので、なんだ
かの神事が行われているのであろう。この石仏が向けられている方向には棚田が広がっている。豊作を
願う地元の人たちの守り神なのだろうか。
2016.05.14追加。


滝原の棚田
滝原地区西新田の集落を過ぎると、三日月形の田んぼがかなり上の方まで続いている。遠くに、八ヶ岳
御牧ヶ原などを見渡すことができる。
2016.05.01 up


憩石(いこいいし)
小諸城跡の三の門前にある憩石は、第二次上田合戦のおり関が原へと向かう徳川秀忠が本陣を構えた。
真田昌幸との交渉のためだ。その際腰を降ろしたとされる石だと伝わっている。
2016.04.18up


東御市東町区大日堂
江戸時代初期の権現造り唐破風の仏堂建築物で、本尊大日如来像が安置されています。延宝7年古大日 
地籍から現在地にみんなの助力で移したという記録があります。4月28日が例祭となっています。
2016,03,22up


大日堂境内の六地蔵
甲府善光寺の旧記によると弘治元年1555年、川中島の戦いの折、善光寺より阿弥陀如来像を奪い取り
信州祢津村に移し、1558年祢津村から甲州上条村日輪法城寺に移したという記録があるという。3年
間祢津村のどこに安置されたか、その手がかりがこの六地蔵にあるのではないかという。
長野市善光寺に銅仏の六地蔵がありますが、これは戦時中の金属供出で出されたため、戦後再建したもの
です。ところが前にあった銅仏の六地蔵の願主は祐昌法師と祢津長命寺秀澄で宝暦9年の建立と伝えられ
ています。祢津大日堂の六地蔵は供出される前の善光寺境内の六地蔵の4年前に建てられており、建立願
主は双方が祐昌法師と長命寺秀澄法師がかかわっているのです。善光寺と大日堂六地蔵とのかかわりが注
目されています。
2016.03.21 up


鎮守古社跡の碑
現在の和田区は、1650年集落の西側古屋敷から移住したと言われています。当時は14戸で旧地に鎮守様を
残してきました。1690年現在の和田に遷座しようとしたが、市村区が反対。2年後幕府の裁定で認められ
現在の和田に遷座することができました。その旧和田区跡地に残る鎮守古社跡碑が和田の歴史を語ってく
れています。小諸市和田です。
2016.03.08up


里曳きを待つ御柱
東御市田沢区の御柱が仮宮に置かれ里曳きの日を待っている。4月3日に里曳きと建御柱が行われる。
2016.03.06up


八重原地蔵
東御市八重原の集落の交差点付近に立つ地蔵様。だれが着せたのか暖かな気持ちが伝わってくる。
2016.03.02up 2016.08.01追加。


御影陣屋跡
御影新田の道祖神祭が終わった頃、御影陣屋跡をたずねて見ました。陣屋稲荷に当時の面影を偲ぶことが
できます。御影陣屋は、佐久小県地方の90ケ村の徳川直轄領代官所として3万石を統治しました。寛延
2年から慶応4年まで120年間設置されていました。石灯籠の寄進者、蓑笠之助は天保時代に実在した
代官なのです。追記、元禄2年にも設置された記録が残っていると言うことです。
2016.02.16up


与良山の神
与良区では毎年山ノ神神事が行われています。各家庭から書初めなどを集め御幣を作ります。そこに矢を取り
付け、支線にも飾ります。矢は浅間山の方向を向いています。山の安全を願う神事です。
2016.01.18up


千曲川の岸壁から
千曲川の流れによって削り取られた岸壁が荒々しい地形を見せる小諸市。その岸壁の上に立ってみる。
2015.12.06 up


滝原薬師堂の石像
滝原区の菊の園のわずか東、薬師堂があります。ここに2対の石像があります。鎌倉時代を思い出させる石像
です。古文によると天国山偏照寺末派にして東光山青龍院薬師寺という。明治6年6月27日廃寺となる。
里老伝に建久4年源頼朝浅間狩の節、この地にて休憩せりと。市内の名所のひとつにしてもいいのでは。
2015.11.03 up


大笹引き湯跡
天明3年浅間山が大噴火。火砕流や溶岩は嬬恋村や長野原町にまでおよんだ。農民は耕す農地を失い困窮をき
わめた。そのころ溶岩流の先端で温泉が噴出していた。嬬恋村大笹の名主が中心となり、この湯を大笹まで引
く引き湯工事およそ5キロメートルが翌天明4年から開始された。現在の公共事業である。工事は石を積みあ
げ、その上に樹でトヨを作りそこに湯を流すと言うものだ。その引き湯跡が現在も残っていると聞いて訪ねて
みた。別荘地帯の中に鉄扉が見える。その左横からその跡は続いていた。私が訪ねたのは少し早すぎたようで
引き湯跡の上には落ち葉が敷いたように落ちていた。見づらいとは思うがまた良い時を狙い訪ねてみたい。こ
の引き湯跡、別荘地帯の中にあることが、今日まで守られてきた理由であろうと思うが、しかし多くの人に知
られていない理由でもあるのではないかと考えさせられながら帰路に着いた。
2015.11.01 up


耳取千曲川沿いの石仏
千曲川が耳取地籍に接するところ。右岸に奇妙な人面を彫った石仏が鎮座している。千曲川面をみるとかなり
浅瀬になっていて渡ることができそうだ。かつてこのあたりを古道が走り、千曲川の安全な渡りを願う旅人の
思いを石仏に託したものなのではないかと思えてくるのだがどうだろうか。
2015.10.31 up


塔の峯五輪塔群
小諸市滝原の西、深沢の近くに塔の峯五輪塔群がある。かつてこの地に偏照寺という寺があったという。焼失
したため外の地へ移ったといわれているがその寺の跡と考えられている。地元では「こうぼうさま」と呼ばれ
る。五輪塔は室町時代のもので、時代は下るが、弘法大師線刻像碑も見られる。
2015.10.24up


寛保2年の石仏
小諸市滝原の西にある河野メリクロン様裏手の墓と見られる場所に立つ石仏の中に、寛保2年7月末日と記さ
れた石仏がある。この年小諸市は戌の満水と呼ばれる未曾有の水害に見舞われた年である。石仏の近くには、
深沢川が流れ押出と呼ばれる地名が生まれるほどの土石流が流れ下ったという忘れがたい歴史がある。
近くには右画像のような当時流れ下ったと思われる大石がいくつも見られる。
2015.09.16up


四谷の道しるべ
小諸市四谷5差路を旧道へと向かう。そこに「右甲州道」と書かれた道しるべが立っている。江戸時代、善光寺
参りをする人々が増えたと言う。北国街道と佐久を通る甲州道はこの場所を通るのが一番近かったのではないか。
2015.08.30 up


青木の一里塚
江戸時代に整備され小諸市を走る北国街道。市内には平原、唐松、青木の一里塚がある。しかし青木の一里塚だけ
どこにあるのかわからなかった。それもそのはず、塚の態をなしていない、盛り土は削られさび付いた案内板だけが
位置を示しているだけだ。ここから百メートルほど西へ向かうとしなの鉄道の線路と合流する。
2015.08.08 up


米軍基地反対闘争勝利の碑
群馬県松井田町恩賀にある妙義米軍基地反対闘争勝利の碑がある。集落の裏手の傾斜地のなかにひっそりと佇ん
でいる。1953年に起きた米軍基地反対運動の内容が刻まれていた。草むらの中にあるのが惜しい。
2015.08.07up


だんご石
新町押出地区に残る寛保2年における「戌の満水」と呼ばれる水害の際、上流から運ばれてきた石。周20メートル
を越える。貴重な戌の満水の遺跡だ。
2015.07.23up


藤塚の地蔵様
藤塚の西の古道沿いに黒地蔵と呼ばれる地蔵が2対祀られています。右側は長禄2年(1458年)と刻まれていることから
東山道が関東に向け枝分かれしていったものと考えられています。この黒地蔵から東へわずか歩くと松の木の下に赤地蔵
があります。黒赤は作られている石の色からそう呼ばれています。古道の歴史を伝えてくれる地蔵です。
2015.07.22 up


宮沢の如意輪観音
小諸市宮沢の如意輪観音は嘉永6年、江戸時代後期の建立です。村へ嫁いだ女性の歓迎や十九夜様と呼ばれた女性
たちの集まりがこの地方ではつい最近まで続いていました。如意輪観音は地域の婦人たちが産神として独り占めして
しまったようですね。
2015.07.21up


大井氏五輪塔
1484年、坂城の村上氏が岩村田を攻撃、大井宗家は滅亡します。その後大井氏は小諸に逃れ、宇当坂に居を構え
たといわれています。昔この地に祠があり道見大明神と言われたことから、大井光忠ではないかといわれてきました
光忠は健速神社例大祭として今に続く「祇園祭」を奨励したことから、7月13日の例大祭には健速神社暴れ神輿が
この五輪塔前まで来た時代があったようです。
2015.07.03up


芝生田の市神
小諸市芝生田の集落内に立つ石。地元の人には「市神」とか「米とぎ石」とも呼ばれてきた。北国街道が整備され
たとき、間の宿芝生田も村寄せが行われ、その際信仰の厚い市神を新しい集落に移したものと考えられています。
2015.07.02up


井子馬頭観世音
小諸市井子地区の西、道路から少し入った場所にひっそりと立つ馬頭観世音。普通馬頭観世音が人間の顔を掘って
あるのは珍しい。中央は菩薩面、左右は憤怒面の像で、高遠の有名な石工の作だという。農家では農閑期に旅人の
荷物を運ぶ中馬稼ぎがさかんに行われ、貴重な現金収入になったという。その名残ではないかと言われている。
2015.07.01up


御影田(みかげだん)
長野県小諸市東部に広がる御影新田。その名称の由来となった初開の田「御影田」。古文によると、御影の称は
初開の田「御影田」あり。晴夜月影を御影田に写し明瞭たり。依って御影新田と称すと。平成10年、広域農道
の開通で埋め立てられ、現在は御影田記念公園の石碑がたっている。
2015.06.27up


安智羅明神
上田市真田の角間渓谷へと向かう道路沿いに安智羅明神という神社がある。眞田氏が武田に仕える以前の地
と考えられている。神社内には真田幸隆が祀られているという。近くに眞田氏のものと考えられる遺跡があった。
来年の大河ドラマ「真田丸」に向けて注目される場所となるのであろう。
2015.06.07 up


女堰
菱野地区には数十キロにわたる水田用水が集落の上部を流れる。どういういわれかは調査中だが女堰と
呼ばれ、歴史もかなり古いらしい。水源は菱野不動滝付近。高低差200メートルの小諸最大の棚田へと
供給され、次に飼場集落へと流れ込んでいる。
2015.05.10up

菱野の春
信州浅間南麓の菱野集落の3月。集落へ下る狭い道路が田舎らしくていい。
2015.03.15up


大沢小学校公開
佐久市旧大沢小学校が校内を公開している。明治26年開校ということだが、校内各所に当時の建築の
姿勢が見える。階段の周辺の作りなどから洋風を取り入れた建築だったようだ。
2015.05.06up


福正院の桜
小諸市後平にある福正院の一本桜。小諸市指定保存樹木になっている。
2015.04.25up


弥勒寺の桜
佐久市臼田の弥勒寺には松から桜が生えて開花している。また裏手の墓地にはかなりの枝を持つ枝垂桜
が満開だ。墓地ということであまり知られてはいないが咲き方はすばらしい。
2015.04.19up


不明門(あかずもん)
お地蔵様や稚児ヶ淵を見ながら霊泉寺へと向かう。大けやきが歴史を感じさせる。ここに不明門が
ある。天井に龍の絵が描かれていたが、その龍が夜な夜な現れ雲霧を起こし荒れさせたので、天井
板をはずし、人々の通行を禁止したのだと言う。
2015.04.14 up


武田信繁の墓
永禄4年川中島の戦いで戦死した武田信玄の弟信繁の墓が小諸市大久保にある。当時、川中島には
埋葬する場所がなく、家臣山寺左五左エ門によってこの地に運ばれた。永禄2年までこの地は嫡男
信豊が城主をしていたという。陣鍋に覆い埋葬したという。その墓碑が寛保2年の水害で発見された
ことから判明したという。
2015.03.31 up


中部横断自動車道佐久南以南。
中部横断自動車道は佐久南までは開通したものの、それ以南は遅れ模様だ。佐久市の下平地区を訪ねた。
2015.03.22 up


初鳥屋の八十八霊場
下仁田町初鳥屋では四国八十八霊場を模した弘法大師の祈願所が設けられている。地元では毎年3月に祭り
を行っている。石段の上には弘法大師の像が安置されている。
2015.03.21up


磨崖仏
佐久市臼田の荒巻山の磨崖仏。かつてこの地に蓮葉の池があった。文明年間、某貴族配流となる。その侍女
蓮葉は池に身を投げ死す。その霊を五輪等を彫って供養したものだという。
2015.03.19up


アカバナマンサク
佐久穂町平林の千手院の裏手には3月初旬、アカバナマンサクの花が咲き始めていた。またこの千手院
の境内には武田勝頼鎧掛けの松が鉄の支柱で支えられてはいるが、かえって歴史を感じさせてくれる。
2014.03.14 up


祝北陸新幹線延長
平成27年3月13日開業前日の新幹線浅科村千曲川橋から。
2015.03.13up


滝原分去れ
信州小諸市滝原区に分去れがある。いままで同行した旅人同士がここから先はそれぞれ違う道を行く。
この三角形の場所に石碑を建て、別れを惜しんだものなのか。それとも人目につきやすい場所を選んだ
のか、文政の文字が見えることから江戸時代のものか。それにしても荒れているのが惜しい。
2014.11.08up


称名寺の鐘
北信の野尻湖に接する柴津地区。称名寺という寺がある。境内には鐘つき堂があるが鐘はない。なん
と大きな石。戦争中の昭和17年武器弾薬を作るため供出させられたのだという。戦後この地区は豊
かではなかったため、石のままになってしまったという。戦争遺産として心に深く刻み込んでおきたい。
2014.09.01up


三太刀七太刀跡の碑
川中島古戦場公園に立つ三太刀七太刀跡の碑。昭和初期は畑の中にひっそりとたたずんでいたという。
上杉謙信と武田信玄一騎打ちの場。謙信は三回切りつけたが、それを受けた信玄の軍配に七つの傷が
2014.08.28up


芸術が物置か
信州佐久浅科の五郎兵衛新田。広大な水田地帯が広がる。その中に物置なのか芸術なのか判断に苦
しむ建物がある。この地域はかつて瓦職人がいた相浜地区に近い。訪問者に判断はおまかせします
2014.08.24up


玉の井霊泉
東御市旧北御牧村玉の井集落は鹿曲川にかかる萎びた宮玉の井橋を渡る。弁天の祠の傍からコンコン
と今も湧き出している。かつては玉の井集落の水道水としても使われていたと言う。東御市の史跡に
指定されている。
2014.08.20up


智識寺仁王門
木造茅葺平屋建て、左右に牛形像、阿形像の金剛力士像を配置。室町時代に建てられたといわれる。
門を進むと、国の指定文化財の大御堂があり木造の金剛立像が安置されている。山門のわらじが印象
的だった。
2014.06.22 up


東山道清水の駅(うまや)の桜
漢字をどう当てはめればよいかわからないが、「なでんの桜」と呼ばれる桜が東山道清水の駅にあり、
その影の長さは遠く江戸にまで及んだという伝説を持つという。その桜が株分けされ、今も清水駅の
近くで2本の桜が咲いている。桜の前を東山道が走り、当時のおもかげを伝えている。同じ桜が新町
の花川沿いにも存在するという。
2014.04.15up


雪原
信州小諸市大久保の雪のある風景。こうした夕方の風景に初めて挑戦してみました。
2014.02.12up


海ノ口城はここだ。(鳥居城)
甲陽軍艦にみる海ノ口城の戦いの舞台に立った。城下の集落を過ぎ細いが舗装された道を山の上へと
進む。大芝峠開通記念という石碑が見えたら車を降り、すこし進むと遊歩道があるのでそれを進むと
10畳ほどの広さの平らな屋敷跡に出る。ここが平賀玄信の居た本丸であろう。そこからゆるい坂を登る
と見張台がある。ここに立つと平賀がどのように戦おうとしていたかが見えてくるから不思議だ。
2014.02.09up

平賀玄信の墓
信州南佐久の海ノ口にて武田信玄の初陣で戦死した平賀玄信の墓は、山梨県須玉町若神子にある。
位牌は須玉町内の2つの寺院に存在するという。
2015.04.04up


筆塚
南佐久郡南牧村広瀬にある筆塚。その筆塚の前に、供えられた「とうかんやのわらでっぽう」と獅子舞
の御幣がなぜか気になって。筆塚が子供たちの勉学のよりどころになっていると解釈したい。
2014.01.19up


万治の石仏(佐久市望月)
諏訪大社下社春宮の近くにある万治の石仏が佐久市望月にあります。石仏の胴体が角ばっていて、顔も
角張っています。頭と胴体を別々に作ったものではなく、一塊の安山岩から同時に掘り出したものです
手の握り方が人々の幸福を願っているように感じられます。
2013.12.21up


鷺林城
信州小諸と佐久の市境に位置する鷺林城。西端を小海線が走ります。小諸の平原城を攻める際の陣城だと
いわれています。小諸と佐久は武田軍に一気に攻められたため、短期間で役目を終えたようです。高台に
は藪が茂っていました。当時の掘割が古道として残り、戦国時代の面影を今に伝えています。
2013.12.01 up


島崎藤村碑
佐久市臼田の稲荷山公園には島崎藤村の「千曲川旅情のうた」の石碑が建つ。明治33年、「明星」
「文界」という別紙で「小諸なる古城のほとり」と「千曲川旅情のうた」は発表された。藤村は臼田
の稲荷山から見た千曲川の風景を気に入っていたという。小諸市に「小諸なる古城のほとり」の石碑がある
2013.11.19up


桑抜清水(かんぬきしみず)
信州小諸市和田に伝わる伝説であるが。戦国時代、武田信玄は川中島の帰りに和田の鷺林城での休憩中
桑抜清水を飲みそのうまさに驚き、上洛途中、病に倒れた折、この清水を汲んで来いと命じた。家来が
和田の地を知らず他の地から汲んでいったが、信玄はそれを見破った。家臣は再び桑抜清水まで汲みに
来たが、信玄の死に間に合わなかったという。和田工業団地に現存する。
2013.11.04 up


常田毘沙門堂
NHK大河ドラマ「八重の桜」で八重の兄、山本覚馬は若きころ佐久間象山に学んだという。その佐久間
象山は文政10年上田市岩門大日堂に寺子屋を開く活文(かつもん)禅師の門下となり一年間学んだ。
活文は、25歳で長崎留学、中国語、詩文、書画を学び上田市龍洞院の住職になっていた。その後常田
毘沙門堂に移り、多くの門下生を生む。画像は常田毘沙門堂と岩門大日堂の今を伝える。
2013.09.17 up


神光寺礎石
松原湖の隣に長湖がある。そのほとりに神光寺があった。慶応元年、本堂は台風によって倒壊した。
しかし三重塔が残った。慶応4年、神仏分離令が発布。そのとき神光寺は諏訪神社の事務一切を取り
仕切っていた。政府の廃仏毀釈によって、神光寺住職は還俗して神主となる。三重塔は生存を許されず
佐久貞祥寺へと移された。本堂は再建ならず、本堂と三重塔の礎石が長湖のほとりに静かに佇む。
2013.08.24up


市神
塩田平保野の塩野神社にはご神体が一晩集落の市神に移座し翌日再び神社に戻る伝統行事が残る。同じ
塩田の前山東の塩野神社にも同様の行事があったという。23日その前山の市神と塩野神社を訪ねた。
2013.07.23 up


七尋石
信州小諸市にある七尋石。室町時代に浅間山の噴火が起き、その泥流は融雪方火砕流となって蛇堀川
を下った。その時流されてきた巨石であるという。5月6日に祭りを行っているということだ。
2013.05.14 up


臼の置かれている風景
なにげなく、ただ臼が置かれているだけなのに、カメラを向けたくなってしまったという風景。もう
一年以上放置され、風雨にさらされているようだ。川西地区にて
2013.04.09up: 2013.05.13画像追加


吉野太夫の墓
追分節の発祥、信濃追分宿。浅間山を見上げる宿場町。江戸時代多くの貧農の女たちが遊女として働いて
いたが、その中の吉野太夫という遊女がなんだかの罪で処刑されたという話がこの里に伝わっている。そ
の話を小説家後藤明生が解明していく過程を小説化した「吉野太夫」によってこの墓が注目されることに。
2013.03.31up


薬師佛
佐久市志賀を少し進むと、天文15年笠原氏が守った笠原城の入口がある。ガードレールの付いている道の
下にもう一本の細い道がある。ここを細い道なりに進むと笠原城へ。これという遺構はないが、途中の薬師
佛と彫られた石碑が妙に気になった。笠原氏奥方(美留姫)の湯浴み処という伝説があるという。
戦国時代、笠原氏は武田信玄と戦い戦死する。田んぼ内の墓は志賀領主の墓という。
2013.03.02 up


旧大沢小学校
佐久市大沢の大沢小学校跡、明治26年竣工、昭和58年閉校となる。村民ほとんどが学校の建築に関わりを
持ち、村民参加の学校建築であった。建築用材の大部分は村の共有林あるいは、神田や国神様の森から供給
されたものである。現在は資料館として現在に至っている。
2013.02.02up


にう
佐久市浅科の矢島地区で見つけました。にうは今はほとんど見られなくなった、稲わらの野積みのことで
現在のように機械化が進まなかったころ、田んぼや農家の近くでよく見かけました。来春になって使いたい
時に腐食せず使えるためこの方法が多く使われていました。コンバインの登場で姿を消しています。
2013.01.20 up


瀬下家の子安大明神
佐久市三塚の瀬下家の屋敷神である。瀬下家の先祖の夢枕に衣冠を正した男女二神が現れ神託を告げ、
それによって創建したという。近隣の人たちが伝え聞いて祈願したところ、効験が現れたという。縁日には
露店も出るほどの賑わいを見せたこともあるという。(佐久市誌から)
2013.01.01 up


岩尾城台曲輪(遠方の林が岩尾城)
佐久市鳴瀬の岩尾城。天正11年2月、岩尾城主大井行吉と依田信蕃との激戦の舞台となった。守る城方 
の火薬が破裂し、混乱状態となった台曲輪に依田信蕃軍が一気に突入したが、指揮しているところを、
城方の鉄砲で打ち抜かれ、信蕃は翌日戦死。説得により行吉は北条に降り、佐久は徳川の領土になった。
佐久市田口の蕃松院には依田信蕃の墓がある。
2012.12.30 up


二王堂
佐久市大沢の長命寺跡に佇む二王道です。天正10年、信長が本能寺で倒れると、この地は、北条と 
徳川の奪い合いとなります。ほとんどの領主が北条側につきますが芦田の依田信蕃だけが徳川方に。
やがて長命寺は信蕃によって焼き払われ、この二王堂だけが残ったといわれています。このとき、
荒山城は伴野貞秀の家臣、市川和泉守が守っていたが、落城。城主の母「妙高」は自刃。その墓が
城跡に残る。現在城址は畑地となっているが、長命寺は城跡に再建されている。
2012.12.23 up


大地堂湧水
信州佐久の大沢地区の大地堂にある湧水。秋になると野沢菜を洗う農家の姿が見られるといいます。 
この地区には木内酒造があり酒作りも盛んです。八ヶ岳の伏流水が、おいしい酒作りに貢献している
ことを感じさせてくれます。お堂の周りを水が囲む珍しい地です。
2012.12.18 up


霊木?
信州佐久の赤岩区、23000年前、塚原流という浅間の火砕流が襲った。その時運ばれてきた赤い岩が 
この地区には、散在している。江戸時代になってその岩に霊験が宿るという信仰が生まれ、今でもこう
した風景が見られる。
2012.11.17


庚申塔
南佐久郡北相木村栃原にある庚申塔。庚申講は夜眠らず己を戒めるという信仰で、江戸時代盛んであった。
その講によって作られた塔である。この庚申塔は寛文3年1663年に建てられ、この地域ではかなり古い
ものであるという。 2012.11.01


冠者社(かんじゃのやしろ)
立科町野方にある神社です。朝日将軍木曽義仲の嫡子として木曽義重がおり、その霊社だそうです。
朝日将軍木曽義仲は粟津が原の戦いで戦死、義重故郷に隠れ、卒死給う、その霊を祀るとある。
東信濃は義仲挙兵の地であるだけに、今井氏などが病の回復を願ったものか。
2012.10.27


岐神
立科町塩沢付近の交差点で見つけた岐神の石碑、すでにアスファルトで一部が埋まってますので、置かれた年代
はかなり古いと思います。交差点での飛び出し等の安全のためなのか、でも車のなかった時代に置かれたと考え
たいのだが、どうだろう。
2012.10.20


余地峠懐古の碑
水田の無い群馬県南牧村と水田地帯を持つ信州佐久をつなぐ余地峠。信州からは主に米が、南牧村からは、砥石、
大豆、こんにゃくなどが運ばれた。大上峠、田口峠の開通でこの峠は役目を終えたが、地元南牧村熊倉の人々に
とって生活必需品を運ぶ貴重な峠だったに違いない。
2012.08.14


大足(おおあし)
農村医学という言葉はもう我々の時代ではごく普通に使われている。まだその言葉が無かったころ、農村特有の
病気がある、でもそれを知るには農村の生活を知らなければだめだ。故佐久病院院長若槻俊一氏が若い医師に農
村の生活を知らせるため農具を揃えたという。(農村保健研修センター蔵)
2012.08.01


小諸市小原の分去れ
信州小諸市小原の分去れ。集落内のあまり目立たないところに分去れと思われる石像が3体立っている。
石像の下には村内安全と彫られていることから、通行する悪人から村を守ろうとしたものか。浅科方面から
千曲川沿いを小諸に向かい、この場で左小諸、右は佐久へと向かうことになる。
2012.06.17


佐久市入沢の分去れ
佐久市入沢地区に分去れがある。右側の道は余地峠を越え、群馬県南牧村熊倉へと続いている。昭和初期までは
米の道として水田の無い南牧村の人々の生活を支える貴重な道であった。人馬が往来し、馬子唄もあったという。
中央には山ノ神が祭られている。周辺にはおびただしい数の馬頭観音の石碑が並んでいる。
2012.06.14


分去れ
信州小諸の乗瀬区の東にある分去れ。分去れは一本の道が左右二本に分かれる場所のことを言うが、そこには当時の
往来した人々の思いがあるのだろう。ここまで一緒に旅を続けてきたがここからは別の道を行かねば。分去れはいつ
の間にか信仰となっていったものであろう。石碑が置かれるようになった。左は浅間道、右は北国街道へとつながって
いたのでは。
2012.05.10


小海町の集落内に見られる大石。
現在の小海線松原湖駅の上流から海ノ口の周辺までは大きな湖となっていましたが、1011年に決壊し湖は消滅します。
その時に運ばれてきたのがこの大石ではないかと考えています。
2012.05.08